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= 松尾 貴博 = 福祉研修を終えて 「希望の家」という身体障害者を対象とした福祉施設に研修に行った。研修では、入浴、配膳、掃除等を体験させて頂き、施設と介助全般について説明を受けた。さらに、利用者との会話や共同作業を通じて、交流を図った。また、介助者の皆さんから、障害者の介助の苦労などを吐露して頂き、障害者施設の現場の考えを垣間見ることができた。 特に配膳作業で気づいたことは、身体障害者の傷害の度合いが個人個人で全く違っているために、食器の種類・形態や食器の配膳位置や料理の切り方に至るまで、食事に関すること全てにおいて、個人の障害の特徴に合わせて決められていたことである。中には、自分自身で食器が持てないために、介助者に食べさせてもらっていた利用者もいた。ひとえに障害者といっても、障害の箇所も度合いも全く違うことが介助を複雑にしているのである。 脳性小児麻痺を患ったことによって、会話すら困難な利用者もいたが、そのような重度の障害を負っている人であっても、健常者と同じように感情表現をして、コミュニケーションを図ることが当然にできる。だから、介助する側が障害者に偏見や嫌悪をもって接すると、障害者はそのネガティブな感情を敏感に察知し、交流を拒否することもあるというのである。これは、障害の有無に関わらず、人間が人間と会話し、感情を通わせ、理解し合ううえで、根源的な反応であるが、障害者と接する機会がほとんど無かった私にとって、反省を強いられることであった。 身体障害者は、他人との意思疎通が十分に可能であり、感情表現も健常者と全く変わらないが、障害を持っているという点で偏見の対象に置かれてしまう。私自身にとっても個々の障害の違いや障害者自身の人格を捨象し、障害者を一括りに観ていたのではないかと内省した。 身体障害者は、知的障害者や精神障害者よりも、比較的社会に適応できるはずであるが、企業の受け入れ態勢や健常者との競争によって、社会における労働者としての立場が確立されていないのであろう。 もちろん、入浴や家事等の日常生活が介助無しでは送れない程に重度の身体障害者は、一般企業のオフィスで労働することは至難であるが、その他の軽度の身体障害者については、積極的に企業が採用枠を設定し、国もその障害者受け入れ企業を支援するような法整備が必要であると感じた。 これからは、先天的に障害を持つ人以外で、社会の高齢化が加速することによって、事故や病気のため身体に障害を負ってしまう人が増加すると思われる。そのような身体障害者を社会的に如何に許容し、受け入れていくかは重大な課題である。如何なる人間であれ、後天的に障害を負う危険性を有しているので、障害者福祉の問題を自分自身の生命・身体の問題として真摯に問題意識を持つべきだと思った。 |